みおにっき

エンドレス学生の戯言

卒業.そして大学院へ.part.1

はじめに

おひさしぶりです.みおです. 卒業エントリ書こうと思っていたら忘れていました.
なぜ忘れたかというと,卒業式がなかったからです.
卒業した実感もなければ,入学した実感もありませんでした.(今はありますけど)
こんなことになるとは思っていなかったので大変です.
前回の記事から数ヶ月たったので,あの記事から今までを振り返ろうと思います.
編入生活2年目~大学院生活前半の振り返りスタートです!

注意書き

  • ありえないほど暗い話です
  • このパートだけで5000文字あります
    • partは3まであり,合計約14000字あります
  • これは自分がこのことを忘れないために,自分のために書いたものです.
    • 文章がクソでも許してください.
  • 生理のお話など,結構センシティブ(?)な話があります
  • 読みたくない人は,無理して読まないでください


編入生活2年目

簡単に言うと

  • 研究テーマの内容(背景とか)を決めるのに苦しむ
  • 研究計画の内容をまとめた文書(院試出願書類)を書くのに苦しむ
  • 7月に学科内で行う中間発表(大学公式のものではない)の準備で苦しむ
  • 大学院試を学内推薦で突破
  • 研究会WiPセッションへ提出する論文原稿を書くのに苦しむ
  • 同期に勧められたアルバイトを始める
  • 学内中間発表会を行う
  • 学会へ参加し,テンション爆あがり.アドカレ参加する

となっています.学会参加については,リンク先参照.
そう.11月下旬まで,私は研究のモチベましまし.今まで苦しんできてよかった!と思っていました.
ここがピークでした.12月になってから話は変わってきたのです.地獄でした.


地獄への入り口

まず12月上旬.私は学会から帰ってきたあとも休むまもなくいろいろしていました.

  • 情報処理学会 第82回全国大会へ参加するために申し込みをする
  • 卒業論文の構成を考える
  • 全国大会用の原稿を書こうと思い始める
  • 全国大会用の原稿と卒業論文を書くために研究の進捗を出す

そんな中,突然微熱が出始めました.
12月だったし,微熱でもインフルエンザの可能性がありました.
卒論を書かないといけないのに,みんなにうつしたら申し訳ないと思ったので,大学を休んで病院へ行きました.
このとき,インフルエンザの検査を受けましたが陰性.普通に風邪薬をもらって終わりました.
そして,風邪薬をのんで熱は下がりました.

しかし,薬を飲むのをやめた途端にまた微熱になりました.
普通に考えて怖い.確かに風邪の症状ゼロで微熱だからというだけで病院へいったけど,なんでまたぶり返しているのか?
たくさん考えた結果,たどり着いた答えが「自律神経失調症」でした.


自律神経失調症とは

自律神経失調症は、自律神経がストレスによって正常に機能しないことによって起こるさまざまな症状の総称です。

詳しくはこちら www.e-healthnet.mhlw.go.jp

ほぼこの症状でしたので,そう判断しました.
病院へは行っていないので,自己判断です.違ったかもしれませんが.
このときの私は毎日こんな感じでした.

もともと生理が重いタイプの人間だったので,自律神経が乱れているようなことは多々ありました.でも,生理前でも生理でもなんでもないときにこんな感じになるのは初めてでした.


なぜこうなったのか?

理由は簡単.こうなる直前に行っていた学会準備が原因です.
学会準備以外にも複数原因があって,自律神経失調症(仮)になったきっかけとなった出来事は別にあるのですが,根本的な原因は学会準備です.
「はじめに」で書いていた通り,私は論文原稿を書くのにしぬほど苦労していました.
研究の進捗を出しながら,論文原稿を執筆するのは,心も体も疲れてしまいました.
論文原稿は,書くと先輩たちや教員からレビューが返ってくるので修正しまくります.
どれも大変でしたが,失敗から学ぶことは多いので,たくさんのことを学べたと思います.
でも,たくさんのことを学べても,心と体は疲れていて,壊れる直前でした. 睡眠時間もやばかったし,情緒も不安定でした.
自分でも気づいていたんですが,無視していました.やはり無視してはいけない.
いったい何で気づいていたかというと,生理です.


自分の体調がすぐわかる生理

生理については知ってるだろということで割愛.知らん人はぐぐってください.
生理は体調が悪くなるものなのですが,個人差があります.
人それぞれ症状が違うので,私の症状がひどいから周りの女性もひどいということはありません.
デフォルトで体調が悪い生理から,体の調子がおかしいとわかるのは不思議と感じるかと思いますが,約10年も生理とともに過ごしているのでわかります.
ストレスがかかると一番顕著におかしくなるのが生理周期です.

生理周期についてはこちら www.elleair.jp

生理周期は25~38日におさまっていれば正常らしいです.
だいたいの人はこの日数におさまっています.また,おさまっているだけではなく,ほぼ同じような日数で次の生理が来ます.
もちろん2~3日ずれることもありますが,誤差です.
もちろん私もおさまっていたのですが,論文原稿を書いていたときの生理周期が35日でした. 私の生理周期はこれより短いものでしたので,生理が来なくて焦りました.
38日を超えたら病院へ行こうと思っていたのですが,超えなかったので「正常だからまだいいか」と思ってスルーしました.
確かに,病気なわけではなく,日数的には正常だったので問題なかったのですが,ここで私は「無理をしすぎていたんだな.休もう」と思わなかったことが問題でした.
その結果,自律神経失調症(仮)となり,脳が「お前はやく休めよ」と信号だしまっくてきたのでした.
でも,私には卒業がかかっていたので,ペースは落としましたが,微熱がでながらも研究を続けていました.


地獄

そんなこんなで研究を続けていたりしていたら12月下旬になりました.
学生なので冬休みがあります.やったね!
私は,自律神経失調症(仮)になったこともあり,一人で暮らすことが怖くなったため,実家へ即帰省しました.
実家へ帰省したら,家事もしなくていいし,ご飯も勝手に出てくるからね!
そんな気持ちで帰省したら,真逆のことがおこりました.

普通に,うつのような状態になりました

原因は前述のとおりですが,様々な要因が重なっていたと思います.

  • 生理になっていたため,気分がもともと落ち込みやすい期間だった
  • クリスマス近い=冬至が近かったため日が短い(暗い時間が多い)
  • 実家に帰るまであまり休んでいなかったので,まだ疲れていた
  • 実家に帰ることで緊張感がなくなり,研究意欲がぷっつりきれた

ネガティブ思考になり,情緒不安定になることは毎度のことだったので気にしていないのですが,これは今まで生きていた中で経験したことがない状態でした.

なにもしたくない.PCを開くのが怖い.スマホを見るのが怖い.通知音も怖い.通知も怖い.

あの期間は完全にしんでいました.生理時特有のやばい睡魔もいつもよりひどく,日常生活ができないほどの眠気でした.
この期間は,ご飯を食べることと,トイレへ行くこと以外は寝ていました.
前回の記事であんなに明るく,とても楽しそうに生きていたやつが,1ヶ月で世界のすべてが怖くなり,ほぼ死人になってしまった.
ストレスとか,疲れって怖いですね.
当然ながら,PCを開くのが怖かったので,卒論は真っ白.全国大会の原稿も修正せずに放置.
スマホを開くのが怖かったので,Slackで近況報告もしなかった.
本当に迷惑かけました.ごめんなさい.
自分でも初めての経験でどうすればいいかわからず,親にも相談できませんでした.


生還

これはネタバレですが,今こうしてブログを書いているので,生還しています.
生還するまでに3ステップふみました.

  1. 全国大会原稿の修正締め切りを無視して札幌へ遊びに行く
  2. 毎年恒例旭川
  3. 指導教員との面談


札幌へGO

全国大会用原稿の修正締め切りだったのですが,完全無視しました.
自分の精神状態を元に戻すのが最優先だと考えたためです.
このときには生理は終わっており,このままだといけない.でもどうしたら元の自分に戻れるの?と考えていました.
そんなときにタイミングよくやってきたのが,高専同期忘年会です. この日,修正版の原稿をださなかった自分に同期がLINEしてくれましたが,体調が悪いと嘘(嘘ではない)のLINEを送りました.ごめんね…

高専同期プチ飲み会は,卒業した年からなんとなくやっているもので,そのとき都合がいい10人前後の友人たちと飲み会→カラオケ→ラウワンが定番化していました.
私は,この時間がとても大好きでした.大学ももちろん楽しいんですけど,やっぱり5年間一緒にいた友人たちと話しているときが一番居心地がいいです.
この大好きな時間がタイミングよくやってきたのです.実家に引きこもっているだけでは解決しないと思って,意を決して札幌へ遊びに行きました.
修正版の原稿を出さずに遊んでいたのは罪悪感がありましたが,ほぼうつ状態だった私にはとてもいい気分転換となり,少し元気が出ました.
こんな状態だったのは同期たちに言わずに遊んでいたけれど,みんなありがとう.また集まれるようになったら集まろうね!


療養先の旭川

私は正直に言うと実家より旭川にある親戚のおうちのほうが好きです.
旭川へいくと大好きな従姉がいることもありますが,普通に好きなのです.
親戚みんなが集まってわいわいするのがとても好きでした.
人と会うことがいいと察した自分は,旭川へ行ってどうにか更生しようとしました.
旭川へ行って,従姉と従兄と意味わからずに飲んでいました.
そんなとき,従兄が

この家系はみんなクズ!!!!!!!!!!!!!!
Are you クズ? I'm クズ!!!!
イェーーーーーーーーーイ!!!!!!!!!!!!

と叫び始めました.意味がわからないですね.
まじで意味わからなかったし,酔っ払っていたので大爆笑でしたけど,なんか気持ちがすっきりしました.
私の従兄は酔っ払うと迷言を必ず残すのですが,これはトップ3に入る迷言です.
無事に少し元気になり,少しだけ全国大会の原稿を修正したと思います.
従姉が近くにいるということもあり,監視してもらいました.


指導教員との個別面談

冬休みに音信不通になったんだから当たり前です.やるに決まってる.
このときは大学登校スイッチが入っていたので,うつからはほぼ生還していました.
指導教員の目の前で大号泣しながら個別面談をして,少しすっきりしたこともあり,全国大会の原稿を無事に提出することができました.
ご心配をおかけしました.


その後(~1月末)

こんな感じで無事に生還し,真っ白な卒業論文の執筆に取り掛かりました.
学会に出していたこともあり,そんなに苦労せずに埋めることはできました.
もちろん,レビュー地獄でしたが(笑)
しかし,忘れてはならないのが生理.生理は特別なものではなく,1ヶ月に1回一緒に過ごさなければいけません.
1月生理も12月よりは軽かったですが,それはそれは重いもので,12月の自分に戻ってしまうのではないかとビクビクしていました.

このときの素敵エピソードとして,医務室の方がすごく優しかったのを覚えています. たまたま鎮痛剤を忘れてしまい,生理痛に耐えられなくなって初めて医務室へ行きました.
私の生理は重く,生理痛でうずくまるのはデフォでした.
ですので,鎮痛剤がないと生活するのが大変なのです.なのに忘れた.バカか?
そして,医務室の雰囲気もわからないまま医務室へ行き,鎮痛剤くださいとお願いしたんです.
医務室の先生は女性だったので,「生理痛がひどいので」とすんなり言えました.
すると,医務室の先生が「生理つらいよね.寒いもんね!カイロ持っていきなよ」 と言ってくださりました.
このとき,初めて「こんな身近な人に共感してもらえるだけで気持ちが楽になるんだ」と思いました.
教員(言い忘れていましたが男性です)と個別面談をしても,やはり生理のことは相談しにくい状況が続いていたし,研究室は先輩も同期も男性しかいませんでした.
さらに,女子の友人はほぼいないという状況だったので,これだけで嬉しくなりました.
周りに生理のことを相談できないって結構厳しいんですよね. 重い人からすると.
このあと,カイロをお腹に貼って卒論書きました.

そんな感じで,生還してからもややつらい日々をすごしていたら,友人や後輩から病院いって薬もらえば?とおすすめされました.
私は,このままでは行けないと思い,卒業研究発表会の前日に意を決して婦人科へ行くのでした…


休憩

勢い余って5000文字も書いてしまいました.
長いのでここでいったん切ります.
無事に生還はしましたが,このあとはまた別の問題がおそってきて大変でした.
ここまでクソ長くて,クソ暗い振り返りを読んでくれた方がいたのでしたら,ありがとうございました!

結論:無理をしてはいけない

次回へ振り返りは続きます.